味に癖もなく接客は活気があり価格は良心的。
全国チェーンの居酒屋は人で溢れていた。
白岐は人ごみに未だに慣れない。予約をしていなければ即刻断りを入れたいところだが、今回は個室と聞いている。
店員に案内されて上がった座敷には自分を含んで八人の男女が居る。その内の男性側は全員初対面というシチュエーション。とどのつまり、今日は合コンだった。
遅れて登場したことで注目を浴びることになったが気にせずに、軽く会釈をして一番入口に近い席に座る。
白岐は初対面の異性には関心が持てないタイプだった。つまり、合コンというシステムは向いていない。なのに今夜参加することにした理由は至極簡単だ。頼まれると頷いてしまう八千穂のピンチヒッターだ。実を言えば、女性側のメンツとも親しいとはあまりいえない間側だ。しかし八千穂の持論を借りれば、友達の友達はつまり、友達に分類されるらしい。元より八千穂の友人に嫌な子が混じっているとも思えない。
寮を出てから、八千穂も白岐も都内の大学へ進学したため一人暮らしを開始したのだが、一人だとますます食事をしない白岐を見かねた八千穂が頻繁に訪れるため、今ではほとんど一緒に暮らしている状態だった。
八千穂は今朝、突然風邪を引いたのだが、ドタキャンをよしとしなかった。困っている彼女を助けるために自分から代打を申し込み、そしてやってきたという訳だ。
男側の自己紹介がはじまったが、白岐はうっすらとだけ笑ってそのすべてを聞き流す。有象無象でしかない男たちのプロフィールなど、家に持って帰る気はなかった。世界史の年表ほども興味がない。自分の役目は大人しく座って控えめに飲み、場の空気を壊さない程度に相槌を打ち、人気のないサラダを食べていればいいと決め込む。
しかし、男側の四人目――自分の目の前の席の男が簡潔に名前を告げた瞬間に、思い切り顔を上げてしまった。3-Cでクラスメイトであった、皆守甲太郎だったのだ。心の底から驚く。水しかない惑星で黒塚に出会うようなものだ。
「……どうしてあなたがここに居るの?」
「いちゃ悪いのかよ」
八千穂が今日は、理科大学の人たちが来るんだってと言っていたことを思い出す。ということは、皆守は理科大に進んだのかと意外に思う。協調性と無縁だった彼が、まだ大勢の学徒に混じっての勉強を望むとは予想外だった。こだわりのカレー屋を開業しているほうがしっくりとくる。
「わかってると思うが、俺はただの数あわせだ」
「……そう」
小声で告げられる。彼の性格を思えばそれはそうだろうが、例えただの数合わせでも社交の場にいるということが信じられないのだ。そこまで白岐は考え、はたと思い至る。
――私もそうなのかもしれない。
高校時代を知る者たちが、合コンの場に居る自分を見たら驚くだろう。七瀬や八千穂とこの間女子会という名目でケーキバイキングに行ったことも、同じゼミの子と京都へ遊びに行ったりしていることも。花屋でバイトをしていることだって。開放以前の自分には無縁のことであったはずだ。
絶えず何かに縛り付けられているような、重苦しい閉塞感から解き放たれた後、待っていたのは普通の暮らしだった。ごくごく普通の女子大生が過ごす日々だった。
「あー、幽花ちゃん、こいつはやめといたほうがいいよー」
二人がこそこそと話しているのを皆守の隣の男に見咎められ、しっかりと誤解される。
「なんか変な恋人がいるみたいでさあ。実は妄想彼女なんじゃねえのって疑ってんだけど、実際年齢も国籍も曖昧で住所不定無職でどこで何してるかもわかんないんだって」
「仕事はしてるっての」
「何のだよ?」
「……自由業だ」
ほら、笑えるだろー?と話しかけられるが、その条件にぴったりと嵌まり込んでしまう知り合いがいるために笑えない。それに白岐は積極的だったり、馴れ馴れしい男は拒絶してしまう体質だった。隣の男は無視をして、皆守へ視線をやる。
――それって九龍さん?と、目だけで訊く。
「……こいつはもう、酔ってんだよ」
皆守は答えずに、顔を近づけてきている隣の男を「失せろ」と言いながら押し返している。遠慮のない関係らしく、ちゃんと友達を作っているのかと面食らう。失礼な驚きだったが、過去の皆守の他人に対する無関心さを知っているだけに無理もない。白岐は驚かされすぎて早くも疲れ始めていた。
結局話を振られてもノリが悪い皆守、白岐はその後の場の盛り上がりに混じることも出来ず、淡々と二人で飲むことになる。
「九龍さんは元気なの?」
「俺だって知りたいところだな。もう一ヶ月連絡がない」
「それは……一ヶ月前にはあったってことでしょう?」
「……あったにはあったが……その時はキサゴナ遺跡に居るって言うんでな。信じて調べてみたら、ゲームの中だけに存在する遺跡で、むかついて怒鳴ってそれっきりだ」
「……喧嘩中ってことかしら」
「いつものことすぎて、喧嘩ですらないな」
白岐は最後に葉佩に会った日のことを思い出す。八千穂も含んだ三人で初詣に行ったことは、すんなりと思い出された。ただ、それから季節は一周しようとしている。それほど会っていないことが間違っている気がするくらい、葉佩の記憶はいつも新鮮で色褪せないため、懐かしいという感情は湧き出さない。彼は空白の時間を感じさせない。きっと、五年経っても十年経ってもそれは変わらないのだろう。久しぶり、と言いながらも昨日もその前も会っていたような自然な笑顔で迎えるのだ。
しかし、葉佩と揉め事も起こせるという皆守には、ほんの少しだけ嫉妬を覚える。音信不通がたったの一ヶ月で文句を言う権利を、彼は有しているということなのだ。瞳の奥に浮かびそうになる羨望に、白岐は慌てて瞬きをした。落ち着けば――自分にもその権利が欲しい、皆守が羨ましいという感情でないことはわかる。要するに、そんな存在がある二人に一瞬憧れただけだ。
白岐は自分を救い出してくれた葉佩を大切に思っている。恋愛感情ほど激しくないその気持ちは、恐らく一生残る類のものだ。
「大和がな――」
「え?」
考え込んでいた白岐は皆守の言葉を聞き流す。皆守の声が言いにくそうに、小声だったこともある。
「白岐にメールが送れなくなってた、と嘆いてたぞ」
「――ああ、ごめんなさい。アドレスを変えたの」
「……教えてやれよ」
「忘れていたわ」
仲の良い女の子へメールをまわしただけで満足していた。白岐は夕薙の積極性には慣れてきていたし、彼のことは友達だと思っている。わざと忘れたわけではないと今度謝ろうと思うが、夕薙はその『自然に忘れられていた』ことに傷つくのだ、ということには気づけない。白岐もどちらかといえば鈍い人間だった。
「はいはい、そこのお二人さんもー、ちゃんと聞きなって!二人の世界作ってないで」
皆守と自分を除く六人の視線が一斉に注がれる。何のことだろうかと白岐が訝んでいると、隣に座っていたショートカットの子が教えてくれる。
「今ね〜、どこからが浮気かって話をしてたんだよ〜」
ふわふわとした話し方をするその女子を、白岐は可愛らしいなと思う。しかし、二十歳を過ぎても恋人の居ない奥手な自分には不向きな話題であった。八千穂さえ居れば毎日が楽しいので、もうしばらくこのままでいいと焦りさえない。
「……そうね。友達に普通しないことをしたら、浮気……かしら」
無難な答えを返しておく。白岐の発言後、詰め寄られるのは当然皆守であった。
「で?お前は何したら浮気だと思う?」
「……くだらねえなあ、なんだこの話題」
「いーから答えろって!」
「決まってんだろ」
こんな題材、三秒で結論を出してやるよ、と言わんばかりに自信満々に皆守は言い放つ。
「他の奴と話したら浮気だ」
二秒のブランクの後、
「「ありえない!」」
とその場に居る全員の叫びは一致し、白岐は心の中で葉佩へ同情の念を覚えた。岩に染み入るようにしみじみと、九龍さんは大変な人と付き合っているのね、と痛感する。
きっと葉佩はそれを苦にしていないのだろうことも、白岐はちゃんと理解していた。