リビングにあるダークグリーンのソファは皆守が選んで買ってきたものだった。
けして身長が低い方ではない彼が、寝そべっても脚がはみ出さないほど全長がある。ただし、ソファであるので幅はベッドよりも当然狭い。
「オイ、ここは俺専用だ」
そう言って、皆守はのし掛かってきた葉佩を腕で押し返す。
彼はこのソファを店で見かけた瞬間から気に入っていた。自分の身体に合ったものだと、計らずともわかったという。葉佩だって皆守が選んできたソファを気に入っていない訳ではない。この上で喧嘩したこと、微睡んだこと、武器の丁入れをしたこと、カレーを溢して怒られたこと――それらすべてが愛着という感情をもたらしている。
しかし、皆守がここで独り寝を好むことだけは気に入らない。
「なんでベッドがあるのにここで寝たがるの?」
「今日は柔らかい素材の上で寝たい気分なんだ」
「……なんだよ、それ。お前の睡眠に対するこだわりってマジでわかんない」
気ままな猫だって定位置で寝たがるものだぞ、と葉佩は頭を掻く。
皆守がソファの上で寝たい気分だというなら、今夜彼は絶対に独り寝をしたくない気分だった。
「隣で寝れないなら、俺は皆守の上に乗るしかないな」
葉佩は至極嬉しそうに笑い、皆守のズボンを脱がしにかかる。拍子でも叩くようにバックルを弾く。皆守は明らかに疲れた顔をする。
「……ここのところ、毎日じゃねえか」
「まさか、それが嫌でソファで寝るって言いだしたの?」
「そうじゃないが……」
こういう時に皆守の歯切れが悪いのはいつものことなので、葉佩は構わなかった。デニムを剥ぎ、下着だけになった片脚を抱え上げて鎖骨にキスを落とす。口上だけの抵抗はけして抵抗ではない。皆守もその気だってことは付き合いの長さでわかる。
下着の中に手を入れ、指先を後ろへ持っていく。今夜は前へ触らずにいかせてやろうと企てる。中指は圧迫されることなく根元まで埋まる。フッと洩れる笑みが口角を押し上げる。
「……まだ何もしてないのに、やわらかいよ?」
「ッ――だから、それは……お前が」
「うん。そうだった」
わかっている上で聞いて、望みどおりの答えが返って来たことに葉佩は満足する。自分が原因でないのなら、それこそ修羅場問題だ。
「俺のせいだった」
愛おしい重責事項だな、と葉佩は口元が緩む。
「甲太郎、」
と葉佩は名前を呼ぶ。皆守は葉佩の服のボタンに手をかけていた。彼にしてはかなり協力的な態度といえる。
「なんだ?」
「ねえ、上脱いで。皆守は着込みすぎ。ちゃんと触りたい」
「……寒いんだよ」
「すぐ熱くなるよ」
無精、無精といった動きで、皆守は部屋着から袖を抜く。ソファに寝転んだまま、正確に言えばその上に葉佩をのせたまま、万歳をするように服を脱ごうとする。前開きでないトレーナーであったので、それは普通の行動だった。
「――お、い」
しかし、服を肘まで上げたところで動きが止まる。葉佩がそこで、服の上から麻紐で縛って中途半端に腕を拘束したのだ。皆守は、両手をソファの肘おきから放り出している窮屈な姿勢になった。
「どこから紐なんか取り出したんだ……何か禄でもないこと考えてないか?」
「訓練しようと思って」
「……訓練?」
皆守は日常生活では聞き慣れない不穏な単語に反応してしまう。葉佩は「うん」とだけ言って、シャツを手早く脱いだ。
木綿の柔らかい生地のシャツで、着心地を気に入っているのだがそろそろ首もとがへたってきているので捨てなければ、と思っているシャツだ。
「俺が居ないときも、俺のことを皆守が感じられるよーに」
明るく言い放つ葉佩は無邪気そのものだった。そして、その笑顔が眼前に広がったかと思えば、皆守の視界は閉ざされた。
突然の暗転に、ごわごわとした感触。目元を覆うものからは葉佩の匂いがする。抗議しようと顔を上げれば、それが逆効果になり頭の後ろできつく縛られた。シャツで目隠しをされた。理解より感情が少し遅れた。
「やめろ、なにふざけてんだ」
「皆守」
話を聞く気がないときの葉佩の声だ。皆守は経験に元ずく直感で悟る。
「一人でするときって俺のこと考える?」
耳元でする葉佩の声は、視力を奪われているせいかより多く鼓膜を震わせている気がする。葉佩は皆守の下着を器用に足先で取っ払う。
「俺は皆守のこと考えてしてるよ」
葉佩は優しく抱くことが好きだったが、皆守は酷くされたほうが悦いということもわかっていた。皆守に不満があるならば、(絶対に認めないだろうが)被虐的な自罰趣味があるところだ――と葉佩は思っている。
昨晩も、前の晩も、その前の夜も抱いた。その名残がある箇所へ自身を宛がう。まるで招かれているような挿入になった。
「俺の形に馴染んでる」
「う、るさいッ」
両腕も上げられず、目隠しのせいで睨むことも出来ない皆守は悪態をつく。しかし拒絶はしない。「顔まっか、」と葉佩は皆守の頬を指で撫でる。
さらに腰を押し進めると、皆守からの文句が止む。葉佩も同じく、言葉を無くすぐらいに陶酔する。何度抱いてもこの瞬間の恍惚は息が止まる程だ。
「皆守のこと考えると、胸が苦しくなる」
「ん、ンン――」
根元まで埋め込んですぐに腰を揺らすと、皆守は顔を仰け反らせた。白い首が露になる。首や手首や足先。皆守はそういうところが細くて無防備だった。葉佩は脚を抱え上げて結合を深くする。綺麗な曲線を描いている首のラインを舐め上げた。
「どうされるのが一番悦い?」
「ッ、し、るか」
「深いのと浅いの、は?」
「……っく、」
答えるまでは動かない。その意思を感じ取って、皆守は舌打ちをする。周りには頑固なのは自分だと思われているが、実際は葉佩が折れることのほうが少ないのだ。こと、夜の行為に関しては。
「お前が――」
「俺が?」
見えない分、葉佩の声音が弾んでいるのがよくわかる。皆守は腕を拘束されている不自由な状態で懸命に体を起こして首を伸ばす。葉佩の頬に自分の頬をくっつけるようにして、キスをする。縋り付いた相手の呼吸が、深くなった結合に一瞬詰まったのがわかる。
「九ちゃんが悦いのが、一番いい」
ぼそりとした小声になった、が、葉佩を喜ばせるには十分だった。
「皆守の天然たらし。俺キラー」
「……いいから、早く動け」
皆守はそう言って、自由な脚を巻き付ける。
「手加減してね、皆守。早くなっちゃうから」
葉佩は皆守には見えていないことに関係なく、慈しむような微笑みを浮かべる。腰を使うのと同時に、阻むものがない胸元へ手をやって肌の不均衡な部分を指先で確かめる。突起を爪先で引っ掻いて、指の間に挟んで押し潰すように撫でる。
「は、アッ、……あ、ッぅん」
指の動きにも、腰の動きにも連繋した皆守の声が届く。葉佩は言われた通りに自分のいいように中を掻き回して動く。反発する肉の動きは少なくて、奥へ奥へと誘われている。ずちゅ、と早い段階から水音が、乾いたリビングの空気を潤していく気がした。
「……は、っ…きもちいいよ」
あまりの熱さに声が掠る。皆守が嘲ったのが視覚からも直腸からも感じられる。体の外側に現れる変化を内側から拾っている。繋がってる実感が強烈に湧く。
「皆守は?気持ちいい?」
今日は聞きたい気分だった。すっかり起ち上がった胸を弄るのはやめにして、(それにしてもえろい躯だな、と思いながら)骨盤の上あたりを掴んで揺さぶる。結合箇所が丸見えになる。しかし、そんな視線の動きも目隠しのおかげで見とがめられることもない。
「ン、ぅん、……そ、れ、いい」
だらしなく開いた口元からは素直な感情が漏れ出している。「九ちゃ、ん」と切羽詰まった声で何度も呼ばれる。葉佩は皆守の汗で湿っている前髪をはらってやる。
「ほら、すぐ暑くなった」
「アッ、あ、はっ、ん――」
「どんな感じ?見えないの、」
「あっ、あ、九ちゃん……はずし、て」
「よくないの?」
ぐちゅ、と水音は粘り気を増す。荒い息で上下する皆守の躯を葉佩はあやすように撫でる。けれど火がついているために動きは止められない。
「ハッ、ぁ……九ちゃん、に、掴まり……ったい」
皆守はビクリと痙攣し、首を振る。閉ざされた視界の中でも自分を見てくれているんだろうか。葉佩はそれを確かめたかった。いつもより余計に呼ばれた名前がその答えだと感じる。無理矢理してるみたいな格好でするのも新鮮だったが、皆守の希望に頷く。
「うん、ごめんな。変なことして」
結び目は動いたせいで固くなっていた。紐を解いて拘束を取り除く。すぐに皆守の腕は伸びてきた。ぎゅうっと首に巻き付いた腕は簡単には外れそうにない。昔から大事なものを取りこぼすことの多かった掌だが、いまはしっかりと思う相手の体温に触れている。
頭の後ろでくくったシャツも外す。と、皆守が反動をつけて起き上がり、今度は葉佩が逆側の肘おきの上に頭を倒すことになった。繋がったまま体位を変えられ一瞬痛みが走る。
「えっ、なに」
「今日は俺が動いてやる」
自分の上に乗り上げている皆守を見上げる。蠱惑的に瞳が濡れている。葉佩は、俺が動いてやるの意味を理解するのに五秒も要した。
「………騎乗位とか、滅多にしてくんないじゃん。腰大丈夫?」
「だまってろ」
ん、と皆守はソファの背もたれに左手を置いて、右手を葉佩の腹の上に置く。慣れないことに慎重に抜き差しをしている。慣れないのは、自分のタイミングで快感を得ることがだ。
「ァあ、ン……ハァ、あ」
葉佩の上で、自慰を公開しているような羞恥に見舞われる。葉佩の視線の強さを肌に強く意識する。しかし、自分で動くとなると意識して悦いところを避けてしまう。ゆるゆると気持ちよさは続くが、いけそうにない。皆守は早くも、この体勢を選んだことを後悔し始めていた。責めるような視線になる。
「……九ちゃん」
「わーかってるってば」
たった一言ですべてを読み取ったらしい葉佩が、皆守の腰を掴んで下から突き上げる。がくがくと皆守の身体は震える。「ア、ア」と、断続的な喘ぎが降ってくる。
「……えっちい光景」
葉佩は焦らすことなく、お互いが上り詰める為の動きをする。皆守の呼吸と内部の収縮でいくタイミングを合わせることは難しくない。「好き」だとか「可愛い」だとか夢中になるといつも出てくる言葉と律動をとめられない。終わった後に、お前はしゃべりすぎだと怒られる。いつものパターンだなと思う。皆守は完全に力を抜いて葉佩の上に倒れている。イニシアチブを握られるのが彼は好きなのだ。
「ハァ、あ、も、出る……」
「ん、俺も」
吐き出す瞬間に唇も合わせることができ、二人は同じだけ満足した。
終わってすぐ風呂場へ消えた非情な恋人を、葉佩はあてつけのつもりで後片付けもせずに出迎えた。
「俺の寝床が……汚れたじゃねえか」
「本皮だから拭くだけで掃除が簡単なんだろ」
60万もしたソファの上はドロドロで、たった今身を清めてきたばかりの皆守には余計に不潔に見える。さっきまでしていたことは盛大に棚上げされている。
「そーれーに、俺は皆守の中に出したから、汚れてるのは皆守の…」
「っるさい。わかってんだよっ」
一言余計なんだよ、と皆守はタオルを取りにラバトリーに戻ろうとする。しかし、はたと思い出した顔をして、一瞬後にはソファへ戻ってきた。忘れ物を取りに来たような顔をして。
「なあ、九龍」
葉佩の顔を覗き込む。精悍な瞳に、葉佩は息を呑んだ。
「俺はこの六年、お前と気持ちが離れてると思ったことは一度もない」
きっぱりと言い放って、腕を掴む。葉佩は真偽を確かめるように、というよりはただただ驚いて見上げてしまう。
「……俺が不安になってたのばれてる?もしかして」
「明日から長期任務ってのも知ってるからな」
「……また俺宛の郵便物見たの?」
「俺の家でもあるからな」
理由になっていない屁理屈を皆守は躊躇うことなく発する。ぐしゃぐしゃと、葉佩の乱れてる髪をさらに掻き乱す。
「イヴまでには帰って来いよ。阿門がパーティーするって言ってたぞ」
「……うん」
葉佩は長期間連絡をとれなくなることに、自信が持てなくなっていた。最近はこの部屋から任務に出かけることが多かったこと。皆守が研究に没頭していることが多くなったこと。ハンターランキングが伸び悩んでいること。歳月を重ねるごとに不安要素は積み上げられる。しかし、その不安要素を。いとも簡単に打ち崩してしまえるのも皆守だった。
「皆守、愛してるよ」
六年間で何万回も言っただろう、台詞を呟く。何万回言っても、自分が言い飽きることはないのだと葉佩は思っている。
「わかってるから、早く風呂場へ行け」
そして皆守も、その言葉を聞き飽きる日は来ないことを知っている。