恋せども恋せども
「おはよう!って、朝から皆守がいる!?」
「……居ちゃ悪いのかよ」
「最高に決まってるだろっ。お前のいない朝といる朝じゃ、さながらアマテラスが岩戸に引きこもる前と後ほどの違いだっつーの」
「何が言いたいんだか、さっぱりだ」
「まあ、要約すると皆守は俺の太陽ってこと」
九ちゃんが教室に入ってくるなり、パッと部屋の照度が増した気がする。
最近出席率が格段によくなった皆守くんに、いつもの軽口(アプローチ?)を叩きながら私の隣の席に鞄を置く。HR前は空っぽの鞄が、放課後にはいつもパンパンになってるのは九ちゃん自身が抱える七不思議の内のひとつ。
「やっちー、おはよう」
「おっはよー」
「どっかの不健康アロマと違ってやっちーは元気でいいなあ」
「えへへ、ありがとう」
後ろのほうから、「聞こえてるぞ」と声がする。九ちゃんは知らないんだろうけど、皆守くんが遠くから人の会話に混ざろうとすることなんて、今までなかったんだよ。後でこっそり教えようっと。教室に入るなり、一番に皆守くんを見つけてしまう九ちゃんにとって、きっとそれは嬉しい情報なはず。
「明日香」
九ちゃんが急に、声を潜める。女の子には下の名前で呼ばれることが多いけど、異性で私を明日香と呼ぶのはお父さんくらいで、一瞬ドキッとした。
「今日探索付いてきて欲しいなー。少し、化人の数が多くって。明日香の力が必要なんだ」
九ちゃんは真剣な話をする時や、お願いをする時。たまに私のことを呼び捨てにする。無意識でしていることなんだろうけど、まず不意をつかれて、そのあとじっと見つめられたりするものだから、金縛りにあったみたいに、体が固まってしまう。九ちゃんがそうするのは、特定の人にだけじゃないって知ってる大親友の私でもこうなるんだから、普段あまり接してない人にはもっと効果覿面だと思う。きっと天性の人たらしなんだろうな。
「いいよ。まっかせて!」
「ありがとう。助かる」
朝からお礼の応酬をする。私は喉の奥のほうが暖かくなる。
体育の授業の後で倒れたとき、「少しは心配してくれた?」と試すようなことを聞いてしまった私を、「当たり前だろ」って叱ってくれた九ちゃん。私は彼に恋をしてもおかしくなかったんだけれど。でも、そうはならなかった。一緒に遺跡に探索に出かける他の女の子は、頼りになる《宝捜し屋》の九ちゃんに、程度の差はあっても甘い恋心を抱いていると思う。その気持ちはすごくわかる。だって、目の前に居る男の子はどう見ても魅力的で、求心力がある。
その証拠みたいに、
「おい葉佩。昨日の長ったらしいメールは何なんだよ」
たまに早く学校へ来ることがあっても、机に突っ伏して寝てばかりいた皆守くんが九ちゃんの席までやってくる。人と人の間にも引力があるって月魅が言ってたけど、多分きっと――九ちゃんの引力は強いんだ。
「あ、最後まで読んでくれた?ネットショップに新しく出てたアサルトライフルがさいっこうで!あの、パンッって響く乾いた音と集弾性の高さに感激しちゃってさあ。AUGの名前の由来知ってるか?皆守は知らないだろうなあ。アーミー・ユニバーサル・ゲベールの各頭文字から来てて、薬室をグリップより後方に配置してるという――」
「あーもー、うっせえ。お前と違ってこっちは健全なんだ。銃になんか興味ねえよ」
「はあ?むしろ、健全な精神を持つ男は銃に惹かれ、日本刀に酔いしれ、メリケンサックに胸を熱くするだろ!?」
「この、武器オタが……」
「その武器の恩恵で、今日まで生き延びていますんで」
わいわいと、二人が会話を繰り広げている。この学園には正体を隠しての潜入云々言ってた気がするのに、九ちゃんは危機感が足りないような気がする。まあ、大声で銃火器の話をしてるのを聞いても、普通はゲームの話だろうなって思うけど。
「昔なあ、扉破るのにロケットランチャー使ったときなんか、反動がすごかったのなんのって」
九ちゃんはそう言って立ち上がって、皆守くんの手を正面から取った。まるでタンゴを踊る前、みたいな格好になって顔も体も近づけている。九ちゃんは外国育ちの影響か、人との距離の取り方が私達とはズレている。
「お、い」
動揺した皆守くんの上ずった声。なんとなく、聞いてるほうが照れてしまうようなむず痒い響きがある。標準的な男子のスキンシップに、色気のある狼狽があっていいはずはないんだけど。
伸ばされた腕の先で掌を合わせて。お互いの指を一本一本、指の腹をこすりあわせながら組み合わせていく。まるで双樹さんがしていそうな、大人な指の合わせ方に、私は驚きのあまり口が開いてしまってることに気づいた。そして、教室中が二人の動向に注目してることにも。
「こんな感じ」
九ちゃんは低くかすれさせた声を皆守くんの耳に流し込む。毎日一緒にいるのに、私は一度も聞いたことがない声音だった。
そのまま「バーンッ!」と子供っぽい擬声音を上げて、腕を思い切り振り上げる。ぴったりとくっつかれていた皆守くんは普段は猫科を思わせるくらいにはしっこいのに、今日は危機察知も出来ずに、一緒にずてんと背中からスッ転ぶ。凄い音がして、埃が宙に舞った。
「だいじょうぶ!?」
まさか、こんなことになるなんて――と、九ちゃん以外の、その場にいた全員の気持ちは一緒だったと思う。
「あははは。わかった?こんっくらいの反動があってさあ」
「て・め・え、葉佩」
並んで倒れている二人の顔を、私はかがんで覗き込む。九ちゃんは満面の笑み。皆守くんは青筋を浮かべている。対照的な表情だった。
「あぶないだろうが、バカ野郎!」
「まさか転ばされるとは思わなかったろ?皆守のレアなビビリ顔見ちゃった」
「茶化してる場合か、あのなあ、怪我したらどうすんだよ!」
皆守くんの怒りはもっともに見える。側には机も椅子もあったんだし、背中から転べば頭を打つ可能性だってある。彼はむくりと起き上がって、未だに大の字で寝転んでいる九ちゃんに詰め寄る。
「だからあ、ちゃんと皆守の頭をかばってたろ?」
九ちゃんの言ってることは正しかった。間近で一部始終を見てた私は(動体視力もいいほうだし)断言できる。
腕を振り上げて足を滑らせた瞬間に、九ちゃんは皆守くんの頭を腕で抱いていた。そうしたら、自然に九ちゃんの体のほうが下になる。でも、皆守くんはその言葉に、ますます怒気を強めた。
「ばか、怪我したらどうすんだっていうのは、お前のこと……」
最後まで言い終えることなく、言ってることの照れくささに気づいたのか皆守くんは顔を伏せて撃沈した。伏せている顔が赤く染まっているかどうかは、寝そべっている九ちゃんにしか確認できない。
でも、なんとなくみんな想像はついている。周囲のそんな暖かい眼差しの中、
「俺って愛されてるなー」
九ちゃんの幸せそうな台詞に、私が彼に恋できなかった理由がぜんぶ詰まっている気がした。
戻る