帰る人
危険度の高い遺跡に潜る時はメールを送る。
それが皆守と葉佩の間に交わされた数少ない約束の内の一つで、これを破ると長期間拗ねられ面倒なことになるため、葉佩は律儀に守っていた。卒業式の後、まさしく願い叶って皆守という相棒をゲットすることができたが、同時に葉佩の人生設計は大幅の修正を余儀なくされる。
人生の頼れるパートナーであっても、いつも一緒に居られるわけではない。皆守甲太郎は親友兼恋人兼同棲相手であり、そして同業者のライバルでもある。
別々の指令を受けることのほうが多く、会っている時間よりも逢瀬を夢見ている時間のほうが圧倒的に長い。危険がつき物の曰くのある遺跡で、探索をしながら番人達と戦う。明日の保証のない職業に、連れは作るものではない。
足枷の出来たトレジャーハンターは邪道だと思っていた。発掘屋はいかにもらしく、一匹狼であるべきと思っていた。ロックフォードに憧れ、ずっと抱きつづけてきた宝捜し屋理想、孤高のイメージ。
それは皆守甲太郎に出会うまでしか保たれなかった。
HANTを起動させ、休暇中で部屋にいるだろう皆守にメールを打つ。葉佩は頻繁な連絡を苦に思うタイプではないが、毎回のことなので流石にネタが尽きてきた。
『愛する甲ちゃんへ。今回は、ジャマイカのポート・ロイヤル海底遺跡へ潜ります。バッカニアの奪った宝物がわんさか見つかるんじゃないかと今からわくわく
してるんだけど、なにしろ海底は初めてだから一応お知らせします。連絡が途切れるかもしれないけど、それは水圧のせいで俺のせいじゃないから怒らないでね』
送信して数秒後、返信がある。まさか、見張られていたんじゃないかと思うようなタイミングでビクリとする。『了解。気をつけろ』
そっけない返事に、いくらかがっくりと気落ちした。毎度無事生還する己に対しての信頼か、慣れが生んだ倦怠か。最近皆守の態度が冷淡な気がしていけない。葉佩は過度に心配されたいわけではないが、それこそ寮生活の頃のような気遣いや初々しさ、みたいなものが懐かしくなる。
天香学園の頃とは違って、通常は探索にバディはいない。水深数百メートルの世界に一ヶ月以上は一人ぼっちだ。準備の整ったホテルの部屋で、そのことをふっ
と思い、寂しくなった。適性検査をした頃賞賛された、何百時間も一人きりの空間に耐えたタフな精神力が衰えている気がする。
それもこれも、皆守のせいだと責任転嫁して憤ってみる。もう一度メール機能の、新規作成ボタンを押した。こんな心境のときに、返信がなければ心が砕ける。
皆守は葉佩には連絡をしろという癖に、自分はまったくのメール不精なのだ。葉佩は必ず返信して貰える文面を考えるが、用件はさっき使い果たしてしまった。
ううん、と首を捻っていると数年前から変えていないお馴染みの着信音が鳴る。
『今、新作のシーフードカレーのレシピを作っている。完成するまでに帰って来い』
皆守から二通続けてメールが来ることは珍しい。しかし、『いついつまでに帰って来い』のフレーズは、彼のお得意の送り出し方だった。
カレーに対して妥協を許さない皆守は試作品作りを繰り返す。レシピの完成には数週間かかるだろうが、その間に他のハンターの手垢のついていない区画まで潜って秘宝を得るのは難解だ。
そう思うのに、けれど指は迷わなかった。気が付けば『了解』の文字を送っている。葉佩は嘆息した。
頭を仕事に切り替えてしまえば、寂しさなんてものは簡単に吹き飛ばすことが出来る。年々、ハンターポイントも実力も解析能力も上がっている。――でも、自分を必ず地上へ還らせる力の根源は、案外皆守が繰り出す『無茶な約束』なのかもしれない。
「新作カレーかあ……楽しみだな」
職業病のような独り言を吐き、葉佩はコンバットブーツに靴紐を通した。武器を持ち替えたときのように、すっと意識が研ぎ澄まされる。
音にはせずに、唇の動きだけで愛しい人の名前を呼ぶ。なんとなく、そうしたほうが届く気がするのだ。
ベストを体に身に着けた次の瞬間には、親友で恋人で同棲相手のことも、現実世界に関する知識や郷愁さえも、意識化から完全に消える。
しかし、それが早く帰るための近道だと知っているので、葉佩はもうそれを、一瞬でも寂しいとは思わなかった。
戻る