保健室仲間
葉佩九龍は寝不足だった。
新しいエリアの石碑を解読することができず罠の解除に困り果て、二夜も調べものに費やした。肉体を酷使した後の疲れとは、似て非なる疲労で頭が重い。体力は有り余っているので、三日寝ないくらいは平気なのだが、脳のだるさは眠らなければ癒されない。
葉佩は、弾みがついたシャッターのように閉まりたがる目蓋を気合で押しとどめ、ふらふらとした足取りで保健室にたどり着いた。まだ二時限目だが、睡眠欲はとっくに限界を越えている。
「ルイ先生〜、休ませてくださ……」
ガラリと扉を開けるが、生憎なことに芸術的な脚線美を持つカウンセラーは不在だった。目的は問診ではなくベッドなので、まあいいかと首をくるりとカーテンの奥の、白くてふかふかな世界に向ける。カーテンに覆われているということは、つまり先約がいるということだが。葉佩はまったく構わなかった。先約には心当たりがありまくる。
「ふ、そこにいるのはわかってるんだぞ、皆守甲太郎」
ふふふ、と石研の部長のような笑い方で、カーテンを捲り上げ、高めのベッドへ乗り上げる。眠気で頭がぼんやりとし、洞察力が落ちている自覚はあったが、思い込みとは怖いもので、掛布団から頭だけ出して眠っている相手が皆守でないとは欠片も考えない。
「観念するんだな、泣いても叫んでもルイ先生はこな……」
布団の側面から頭を突き入れて潜り込み、熱源に抱きついてはじめて気づく。日頃のスキンシップの成せる技か、体の厚みの違い、ラベンダーの香りもカレーの匂いもしないことから判明した。こいつは皆守じゃない。じゃあ誰だ、とばかりに顔を上げる。と、
「は、はっちゃん」
気弱な取手鎌治の困りきった顔に遭遇する。
「ごめんね、皆守くんじゃなくて」
なんだか申し訳なさそうな顔で、そんな胸が締め付けられるようなことを言うので――ぐっときた葉佩は背中にまわした手に力を込めた。
「鎌治〜。勘違いした俺が悪いんだから謝るなよっ」
ぐりぐりとシャツの胸もとに顔を埋める。これで取手が女だったら、間違いなくセクハラだよなと思いつつ。いや、もしそうだったらまず、この状況がありえないか、と仮定の話を打ち消す。
「あ、僕もう十分休んだから。このベッドは使っていいよ」
と、真っ白な顔色でいうものだから堪らない。
「いじらしいなあ鎌治は。顔色悪いぞ、まだ具合悪いんだろ。いいから寝とけって。まあ、でも俺も眠くてしょうがないから、一緒に寝ようぜ」
「え、ええ?……一緒に?」
「そうそう。寮のベッドよか広いしさあ」
それに、布団の温もりと取手の体温は心地よく、とても手放せそうにない。動揺してパクパクと口を動かす取手に、葉佩は上目で見上げる。
「……鎌治が嫌だったら、出てくけど」
「嫌じゃないよ!」
この距離では大きめな声量に、一瞬だけ鼓膜が痛む。小声でボソボソ話すのがデフォルトな取手が突然、はっきり言い切ったことにも驚く。
「あ、その……僕、あんまりこういう、友達との触れ合いに慣れてなくて、でも……嬉しいよ」
長めの腕が背中にぎゅうっと回される。寝苦しいと感じるほどの力だったが、前言が可愛すぎた為にむやみに振りほどけない。
「愛い奴め〜」
大袈裟だなあ、と思いつつも嬉しがられると嬉しいもので、取手の首筋に頬を擦りつけてみる。顎先が鎖骨にダイレクトに当たり少し痛い。取手はもう少し肉を付けたほうがいいな、と葉佩はぼんやりと思った。取手の清潔で真っ白なシャツからは柔軟剤のやわらかい良い匂いがする。
「あー、すっげえ落ち着く」
そうつぶやいた記憶を最後に、葉佩はあっという間に深い眠りに落ちた。
皆守甲太郎は不機嫌だった。
至福の夢の世界から目覚めるとちょうど昼休みで、一緒にマミーズにでも行こうと葉佩の姿を探すが見当たらない。仕方なく購買でカレーパンを買い、保健室に戻った。
ふっと、自分が寝ていない側のベッドが、いつまでもカーテンで閉ざされていることが気になった。もしかして――と思い、シャッと小気味いい音を立てて引く。そこには、取手と葉佩が互いに互いを、抱きしめあって眠っていた。眩しいものを直視してしまった後のように、皆守は反射で目を閉じ、そしてすぐに開ける。
やっぱり、取手と葉佩が、抱きしめあって眠っていた。
「…………」
初めの数秒間は、目の前の光景の意味がわからず呆然とし、わかってから猛然と腹が立った。つかつかとベッドまで寄り、「おい、起きろっ」と葉佩の肩を掴んで引き剥がす。覚醒したのは取手が先だった。「あ、皆守くん」とのんびりと認められ、皆守はその穏やかさに重ねて苛立つ。そこに理などはまったくない。
「なに野郎二人でくっついて寝てんだよ。むさくるしい」
「ベッドが足りなかったんだよ。ねえ、はっちゃん」
「ん〜」
まだ寝ぼけている葉佩は、暖を求めてもう一度取手の体に手を伸ばす。皆守は俊敏な動作でそれを阻止した。
「起きろ、葉佩。お前の大好きな昼飯の時間だぞ」
「嫌だ〜、俺はまだ寝る。寝足りんっ」
「だったら奥のベッドへ行け!取手の迷惑だろっ」
「僕ははっちゃんと一緒でも、全然構わないけど」
取手はにっこりと微笑んで、皆守の腕の中から葉佩を取り戻す。まさか、そうくるとは思っていなかった皆守は唖然とした。
「二人で寝てるとあったかいし。カーテン閉めてくれる?」
その一言の、何がそんなに許せないのか――皆守はわからないままに、掴んでいた葉佩の肩を乱暴に押す。
「勝手にしろっ」
破らんばかりの勢いでカーテンを閉め、皆守は踵を返した。ムカムカとした気分は重く胃に沈み、食欲まで失せている。保健室にカレーパンを忘れたことを思い出したが、もう一度二人が睦まじく寝ている場所へは赴く気になれず、その足で屋上に向かう。階段を登っている間に、クソッと悪態を二度付いた。
「……葉佩の奴、なんで、俺のほうへ来なかったんだよ」
その独り言が恥ずかしすぎるということに――なにしろ無自覚であったので――皆守甲太郎は気づかなかった。
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